ついに自分の使命を発見!
●やる気のある人間二人が出会えば何でもできる!
私自身が、2000 年の初めに「自分の使命、志と呼べるものは何だろう?」と思い、迷っていました。
1999 年の中ごろ、渋谷でビットバレーと名乗る、デジタルベンチャーの若手起業家の交流会が生まれました。この集まりは、あっと言う間に雑誌や新聞に取り上げられ、十数人規模から数百人規模へと発展していきました。時はデジタル・バブルのまさに前夜。
私は、1999 年の10 月頃から、時折その場に顔を出していました。
私自身の仕事は、デジタルベンチャーとは何の関係もありません。パーティーではいつも壁の花でした。しかし、私は「今一番元気で燃えている業界の人々の集まりに出ることで、何かしら時代の息吹を感じられるのではないか…」と思い、足を運んでみたのです。
確かに熱気を感じました。そして、ほんの数分でも、ちょうど超成長期にいる起業家の人々の話というか、叫びに近い扇動的な言葉を聞くと、非常に刺激になったことを憶えています。
例えば、デジタル・コンテンツの製作者育成のための専門学校デジタル・ハリウッドの杉山社長はこんなことを言っていました。
「デジタルの世界っていうのは、やる気のない人間が何百人いようと、何も起こらない世界です。でも本当に『何かやってやろう』という意気に燃えている人間がたった二人でも出会ったら、凄いことができる世界なんです!」
この言葉を聞いて、私は「なるほど!」と思うと同時に「これはデジタルの世界だけのことじゃない!全てに通じることだ!」と気づかされたのです。
●「目の色が変わる」仕事って何?
「みんなが燃えている」そんな環境の中にいると「いかに自分が燃えていないか」を思い知らされることになります。
そして2000 年の2 月2 日、ところは六本木ベルファーレにて、ビットバレー主催のビット・スタイルという名のパーティーが開催されました。
2000 人以上の人々が集まったそのパーティーでは、壇上に新進気鋭のデジタル・ベンチャーの若者が上り、自らの熱い思いを語りました。みんな「新しい未来を創ろう」という夢と野心に燃えている人々でした。みんな、いい味を出していました。
最後に壇上に上がったのが、当時絶頂期にいた孫正義氏です。
彼は壇上から次のようなことを語りました。
自分はずっとビットバレーに呼ばれていなくて、嫌われているんじゃないかと思っていました。だから数週間前に誘いを受けた時には、是非出たい、と返事をしました。ところが秘書に尋ねると、「その日はドイツで会議が入っていて、無理です」と言われました。でも「いや、何とかして出たいんだ」と僕は言って、…、飛行機をチャーターして3000万円掛けて、今夜ここに来ました!
この言葉には全員「おーっ」と感嘆の声を上げました。
続いて孫氏は
ベンチャーを成功させるために必要なことは、第一に、志(こころざし)です。
志と夢とは違います。例えば「自分の家を建てるという夢がある」とは言っても「自分の家を建てるという志がある」とは言えないでしょう。
つまり志という場合には、自分の欲望だけではなく、必ず他者への貢献が含まれているのです。
第二に必要なのは、独自のアイデアです。
第三に必要なのは、同志です。
そして四番目に必要なのがお金です。
その晩、私は痛感させられました。「自分が燃えていない」ということに。そして思いました。
「この時代に、目の色が変わらないような仕事をしているとしたら、人生の無駄遣いだ」と。
それからずっと、私は内側で絶えず問いかけ続けていたような気がします。
「自分にとって、志と呼ぶに値するような、目の色が変わるような仕事とは何だろう」と。
●ついに自分の使命を発見!
そしてそれから約三ヵ月後、五月のある日、色々考えた末に、自分の志と呼ぶに値するテーマが見えたのです。
その日私が読んでいたのが、前出の「痛快!経済学」という本でした。その本の中で一番のヒントになったのが「需要と供給」という概念です。
自分という人間の需要はどこにあるのか?
これを私自身が自分に問いかけました。一番私が活躍したのはいつか?と。
そこで浮かんできたのが、「インドで瞑想の先生に出会い、文無しの彼をつれて日本に帰ったとき」だったのです。
彼の「本当の意味での瞑想を日本の人と分かち合いたい」という想いに共鳴した私は、インドでも日本でも全く無名の彼を連れて、日本に降り立ったのです。
成田空港に到着して、二人が泊まるところさえ決まっていない、その時、私は自分自身に言い聞かせるように、つぶやきました。「これからは一瞬一瞬が挑戦だ!」と。
それからの半年、日本の各地を回り、様々な人と会い、可能性を探究したその当時の私は、まさに志に燃えていました。紛れも無く、私の人生において最も活躍した時期のひとつと言えるでしょう。
さて、その時の自分が、製品だとしたら、どんな機能が使われていたのか?こう問い掛けると私自身のメインの機能として「小さな場所や地域に限定された知恵や叡智を、より広くそれが必要な人に知らしめる、分かち合う」という働きが浮かび上がってきました。
そして「この機能の需要は今、いったいどこにあるのか?」と問いかけてみました。
すると、浮かび上がってきたのが「私の現在の師匠である松永師の書籍を英語で出版する」というアイデアでした。
この考えが浮かんだときに、ごくごく自然に自分の中にやってきたのが次の言葉でした。
「おれがやらなければ誰がやる」
松永師を慕っている人はたくさんいます。
しかし「世界に松永師の持っている叡智を出そう」と決意したのは、その当時は私しかいなかったのです。
「おれがやらなければ誰がやる」
この言葉は一見すると非常に傲慢でエゴイスティックなイメージを持たれる方も多いかもしれません。
しかしこの言葉の背後には「他に自分以上にそれをできる人がいたら、喜んでいつでもその企画の推進者の立場を譲ろう」という気持ちがあるのです。
さらに私は「世界中にこの本(松永師の英訳本)が出版されることを待っている人がいる」という予感とその人々の視線を感じたのです。その時、私の中に、皆さんも知っているあの歌の一節が流れました。
「ああ~、日本のどこかに~、私を、待ってる 人がい~る」(いい日旅立ち♪)
過去の人生において味わったおいしさを思い出し、未来に味わえるであろうおいしさを発見する。これが2日目のテーマです。
この人生において一番活躍できたのはどんなときでしょう?
「活躍」という言葉がしっくりこなければ、「貢献できた」「感謝された」「嬉しかった」といった言葉に置き換えても構いません。「自分の命がもっとも燃え上がった時」と捉えても良いでしょう。
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