危なっかしく生きることで、人生は注意深くなる
●危なっかしく生きることで、人は注意深くなる
この五日目のテーマは「危なっかしさ」です。
インドの精神的導師和尚ラジネーシは、ある日「自分の弟子に対してメッセージはありませんか?」と弟子から質問を受けました。
この問いに対して彼は「危なっかしく生きなさい。なぜなら、危なっかしく生きることで、人は注意深くなるから」と答えました。
危なっかしくないと、注意深くなれない。つまり緊張感がなくなる、ということです。
私は昔インドを旅している時に、ある西洋人の男を見ました。
その男を知っている日本人の旅仲間は私に「彼はもう旅に出て、十年になる。世界中の色んな国を回り続けているんだ」と教えてくれました。
しかし彼の顔には、何の輝きもありませんでした。
私は彼を見ていてある疑問が湧いてきました。
「どうしてあんなに冴えない顔をしているんだろう。私が今までアメリカに一人旅をしたりしていた時は、緊張感と新しい文化や人との出会いの中で非常にエキサイティングだった。そんな旅を十年も続けているのに、いったいどうしてあんなに冴えない顔をしているんだろう」
私はその問いをしばらく持ち続けていました。考えるということもなく、考えていました。
そしてそれから数日後、自分の中に解答が浮かんできました。
「そうか!彼はただ何となく、漫然と旅をしているんだ。だから彼の顔には輝きがないんだ!」
人はたいてい「いいこと」をしようとします。しかし「いいこと」であるからする、という発想には罠があるのです。
どんなに「良い」ことでも、例えばボランティアとか、人助けとか、ただ漫然とやっていては、意味がない、ということです。
いい悪いではなく、自分にとって挑戦となるか、やる気が出るか、納得が行くか、こうしたことを自分の行動の選択基準にしない限り、学びも成長も起こりえません。おそらくその西洋人の男性にとっても、旅は最初のうちは非常にエキサイティングなものだったでしょう。しかし、マンネリ化し、漫然と旅をしているとしたら、彼の人生を浪費しているに過ぎません。
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